ぱぽログ

Eat, Sleep, Rave, Repeat

スペ女同窓会 - ワルシャワ編

もはや3か月に1回とかいうゴミの更新頻度だが、

己に何かを課しているわけではないのでこれからも適当に更新していきます。

 

まずは最近の仕事の話から。

 

以前 別件でご一緒したライターの近藤銀河さんが5/24に本を出されることになり、超微力ながらお手伝いをさせて頂いた。

 

 

2022年に『インディ・ゲーム新世紀ディープ・ガイド』 という本に参加した際、私の担当する「フェミニズム」の章を執筆頂いたひとりが、近藤さんだった。

 

タイトルにこそ "フェミニスト" と付いているものの、実際はマスキュリズム、クイアネスなど多岐に渡る視点からディープな分析・考察が為されていて、
こんな本が書けるのは少なくとも今の日本では近藤さんしかいないのではないか・・・と私は思っている。

 

仕事終わりにカフェに行って、紅茶をすすりながら本作の原稿をチェックしている時間が ここ数週間では一番満ち足りた時間だったかもしれない。

一読者としても発売がとても楽しみだ。

 

さらにもう一つだけ仕事の話をしておくと

最近、HYPER REALでは求人を開始した。

 

 

去年7月の立ち上げからブランドの周知やタイトル集めに奔走していたが、今年は実際にいくつかのリリースが控えていることもあり、一緒に働く人をもう1人募集することにしたのだ。

少人数で自由度高くバリバリやりたい人が向いているかも。

私も既存メンバーも間違いなく「個性的」ではあるので、最終的には相性が大事だとも思う。

 

興味があれば是非DMからでも、ウェブサイトからでも。

 

 

 

そしてやっと近況。

 

先週は、あきさんが日本からポーランドに遊びに来てくれた!

 

大学出てからしばらくお互い音信不通な時期もあったけれど、こうやって果ての国まで遊びに来てくれるのは本当にうれしい。

 

あきさんとは、若いころはブイブイ言わせたり言わされていたりしたものだが、もう2人とも30を超えているので普通に観光とかをした。

 

東京スペルマ女学院(知っている人は知っている)の同窓会

 

また1泊でクラクフにも一緒に行き、やっぱり普通に観光とかをした。

 

ヴィエリチカは何度行ってもすごい

 

移動は鈍行列車だったし、カフェでダラダラする機会も多かったので2人で色んな話をした。

ポーランドと日本の違いとか、家族の話とか、昔の思い出とか、宗教とか、陰謀論とか、世界情勢とか、本当にいろいろ。

 

思い返せば大学生のときも、あきさんとは大学近くのインドカレー屋で、ずーーっととりとめのない哲学話ばっかりしていた。

 

自分は学生時代はいわゆる陰キャ側にいたので、、と思っていたが、そういう話が出来る友達がいた時点でけっこう充実していたのかもしれないと今では思う。

 

 

 


 

フェミニズム」と「スペルマ」という単語が同居するカオスなブログ記事になってしまったが、人生ってマジでそんなものだというのが最近の気づきである。

 

それではまた次回。

2023年振り返り

2023年は仕事もプライベート(?)も盛りだくさんだったので、備忘録的に。

 

1月

クリスマスから日本に里帰りしていたので、年越しは東京の実家で迎えた。

年末から担当していた『Atomic Heart』(AH)の仕事で、メディア向けのハンズオンをこっそり開催。

日本語の翻訳修正も1人でせこせこやってたので、だいぶ忙しかった月。

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2月

極寒のポーランドに帰ってくるもあまり外でやることがない。

雪の中厚着でクラブに行ったり、この頃からキックボクシングに通い始める。

2月はAHのPC版発売があり、マーケティング活動が忙しかった。

並行して新レーベルHYPER REALの立ち上げ準備も本格化し始める。

 

 

3月

相変わらず寒いが、ちょっとずつ晴れの日も増えてきたのでバイクを引っ張り出す。
初乗りは3月19日だったようだ。

仕事ではまだまだAHの発売後サポートをしつつ、PlayStation版発売の準備をしていた。

 

 

4月

AHのPlayStation版発売に合わせて、また日本へビジネストリップ。

渋谷でリリースパーティを開催し、これにて本件はひと段落という感じ。

HYPER REALの方も関係者に挨拶したり、いろいろと仕込みを進める。

仕事の合間に弾丸で宮古島に行ったりした。

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5月

ワルシャワも本格的に暖かくなり、オープンカーやバイクでひたすら色んなところに行きまくっていた。

クラクフで開催されたDigital Dragonsというゲームイベントに、アテンドも兼ねて出席。
初めてのヴィエリチカ岩塩坑は圧巻だった。

仕事はまだ3つ4つ兼業してたので、そこそこ忙しかったような。

 

 

6月

前半は日本から友達が遊びに来てくれて、ワルシャワを案内した。そのあと一緒に電車でチェコに小旅行へ。

後半にはワルシャワで毎年やってるINSTYTUTというデカい野外フェスに遊びに行ったが、かなりガッカリな内容だった。

初めてモトジムカーナの大会を見に行き、やってみたいなと思い始める。


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7月

ついに迎えるHYPER REALのローンチのため、また日本へ。

BitSummitで初展示を行い、いろいろな人に遊びに来てもらうことが出来た。

京都ということで10年ぶりくらいにSiestaに顔出したら、マスターが覚えててくれて嬉しかった。

ワルシャワに戻ってからは、ドラムンの野外レイヴに行ったり夏を堪能する。


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8月

誕生日は大好きな火鍋で祝ってもらった。

友達とバービーを見に行ったり、MT07でジムカーナの練習を始めたりする。

あとは湖に泳ぎに行ったり、野外でLTJ Bukemを見たり。

仕事は2つ+単発の業務委託をちらほらという感じのバランス。


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9月

前半、友達とスペインのマヨルカ島へ。

若干嵐が残っていたものの、ほとんど毎日海で泳げたし、スペイン料理もおいしかった。

後半は東京ゲームショウのため、再び日本へ。仕事以外では伊勢志摩にも旅行した。

 

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10月

9月から続けて日本に滞在。Gamescom Asia出展のため、そのままシンガポールへ飛ぶ。

シンガポールは初めてで、物価は高いわ蒸し暑いわビルはデカいわで、驚きがいっぱいだった。

海外勢のパブリッシャー仲間に再会できたのはうれしかった。

イベント後は衝撃の北京経由でワルシャワへひさしぶりの帰国。


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11月

ポーランドに帰ってきたらだいぶ肌寒くなっていた。

ジムカーナ用にケージ付きのKTM390を中古で買い、MT07と共に即ガレージにぶち込む。

後半はベルリン旅行へ。現地の友達を訪ねたり、買い物を堪能したり、ベルグハインに拒否られたりと、久々の一人旅を満喫。

仕事はこの辺で1つ辞めたので、時間に少し余裕が出来た月だった。


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12月

冬のポーランドはやることがない。ので心身のメンテナンスに時間と金を割く。

理学療法士のところに通い始めたり、油絵のワークショップに行ってみたり。

珍しく風邪をひいたので年末は大人しくして、のんびり仕事納めでした。

 

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2024年の抱負は引き続き「強くなる」でやってまいります。

北京にはじめて行ったら軽く異世界だった話①

先日、乗り継ぎのため北京で20時間ストップオーバーする機会があり、なかなか面白かったので書いておく。

 

まず使ったのはエアチャイナ。

乗り継ぎで "日付をまたぐ" などの条件を満たすと無料でトランジットホテルを用意してくれる。

そもそも北京にはさして興味はなかったのだが、まあホテルは無料だし、自分から行くことは一生ないだろうし…ということで観光することに。

 

朝5時に北京首都国際空港につくと、もう既に異様な雰囲気である。

まずバカでかいラグジュアリーな空港のそこら中に、カメラがある。

中国と言えばマイクやカメラによる監視が…ということでかなりビビっていたのだが、もはや隠す気もない。

というかむしろ見せることで統制しているのだろう。

そして窓から見える外の景色がかすんでいる。これは黄砂とか大気汚染によるものだ。

 

雰囲気がめちゃくちゃ怖い上に全然英語が通じない職員に尋問され、写真を取られ、指紋も取られた上、やっと入国となった。

 

かっこいいのにガランとしている無人操縦モノレール(?)に乗り、ターミナル間を移動。

まっすぐ伸びる線路、その左右にそびえ立つターミナルビル、
そして朝陽に照らされるオレンジ色のスモッグという、ドゥニ・ヴィルヌーヴみのある情景。

 

ビビりすぎて移動中は一枚も写真を撮らなかった(画像は検索したもの)

お目当てのターミナルに着き、なんとかホテルシャトルバスを手配することに成功。

「30分で来るよ」と言われたのでそのへんのベンチに座って待つことに。

ていうか空港なのに、さっきから全然英語通じないのは何なの。

 

そういえば中国本土ではGoogle、Twittter、Instaなど、普段使ってるサービスが軒並み使えなくなる。

上陸する前に専用のアプリとかVPNを入れておくべきだったが、全然準備していなかった。

それに加え、そもそも北京空港のWiFiにどうやってもつながらず、二重の意味で詰んでいる。

しかし今回はどうせ20時間しかいないし…と思って、現地のSIMカードとかを買うことはしなかった。

なまじ旅慣れしているせいで、だいぶ適当である。

 

 

バスを待つ間に、空港内に "観光案内所" と書かれたカウンターがあったため行ってみた。

ニコニコした人の良さそうなおじさんが対応してくれる。

地図をもらえないか聞いてみると、「何語が良いですか?あなた日本人?あ、でも日本語は切れてるや」とかガサガサやりながら、英語版の北京マップをくれた。

ちなみにこれがかなり出来が良くて、無料でもらうにはちょっと気が引けるような装丁である。

 

このマップは北京で唯一のおみやげとなるのであった

 

「どこに行く予定?」と聞かれたので、「故宮とか」と適当に言うと、「あ~~故宮は1日前に予約が必要なんだよね」と教えてくれた。

おじさんによると、その場合は故宮の横にある湖に行ってから、景山公園という丘に登って故宮を眺めるのがおススメルートということだ。

夜の飛行機までしか滞在できないことや、ホテルの場所なども加味していろいろアドバイスしてくれた。

 

おじさんのホスピタリティに感動しつつ、同行者と共にその場を離れようとすると、「ちょっとまって!」と言いカメラを取り出し、

そしてニコニコの笑顔で「一緒に写真を撮っても良いですか?」と聞いてきた。

 

(――え?なぜ?何に使うんだそれ?)という疑問が一瞬よぎり、顔が硬直する。

我々が居るのは北京。

至る所に監視カメラと盗聴器が設置され、不用意な行動をとれば外国人にも厳しい罰則が科せられる世界。

 

おじさんは「私がちゃんと仕事したってことを上司に報告したくって」とウキウキ気味に言うが、

我々は("上司" ってそれ政府関係者じゃないのか?というか空港で働いてる時点でみんな政府関係者だよな多分…)とか勘ぐり、不穏な雰囲気になっていた。

ただ、ここで断ると逆に怪しまれそうなところまで来ていたため、しょうがなく応じることに。

おじさんは嬉しそうだったが、多分我々の笑顔は引きつっていたことだろう。

 

そんなことをしていたらなんだかんだで1時間たっていた。

30分でバス来るんじゃないのかよ。

 

こうして空港の時点でだいぶビビらされたまま、次はホテルへ向かうことに…

【次の記事へ続く】

日記20230809

気付けばワルシャワに来て5年も経っていた。

いや、住み始めてからは4年か?正しい年数は忘れてしまったが、2017年末には出入りし始めていたから、まあそんなもんだと思う。

 

18くらいから漠然と「いつか日本を出よう」と思っていたので、"計画通り"ということになる。

ただまさか、ポーランドに住むことになるとは思っていなかったが。

 

地図上でどこにあるかすら分からなかった国で、今では起業もし(ワンマン法人だが)、車もバイクも乗り回す程度の自由は手に入れた。

最近居住許可も更新したので、少なくともあと3年は問題なく住める。

未だにポーランド語はちっとも喋れない。

 

この5年間色んなことがあった。

といっても「色んな」ことがあっただけであり、特に書くほどのことでもない。

パンデミックからの隣国ウクライナの危機と続いた時は、さすがに精神的にきつかった。

だが喉元過ぎればなんとやら。窓から見える景色は今日も穏やかである。

こうやって色んなものに慣れながら死んでいくのかもしれん。

 

近所の公園

 

今日はこのあとカウンセラーに会いに行く。

それが終わったら打ち合わせして、夕方はバイクでどこか行こうかな。